会津若松「田季野」

ftr233

2015年08月24日 11:46

とある会合で会津若松市の「田季野」で会食をしました。





センチュリーホテルにチェックインして歩くこと3分、突然、大きな石垣が現れました。



いわゆる現代の街中を歩いていたら現れたのでびっくりです。


解説があるので見てみると、

会津若松城主であった蒲生氏郷は、城下町を武士の住む「郭内」と町人の住む「郭外」に分けました。
「郭内」と「郭外」の間には16の「郭門」が設けられたのですが、この甲賀町口門はその郭門の中でも唯一現存するものです。



なるほど。

ネットで見たら夜はライトアップされてます。




この裏手には鄙びた焼鳥屋があったのですが、地元人に尋ねると「一見さんお断りの店」とのこと。残念。


他にもこの栄町には風情のある店構えが多く、良く調べて徒歩観光したいと思いました。



さて、あの石垣の手前から細道に入った先に、目指す「田季野」があります。






道祖神まで・・・・


これもまた、繁華街の一角にこんな風情を残しているとは驚き。


中に入ってまたびっくり。




完全に江戸時代ですよ。

それもそのはず。以下ネット文章拝借。

田季野の店舗として移築復元した絲澤舊陣屋(いとざわきゅうじんや)は、鎌倉時代から続く会津西街道(下野街道)の旧家でした。
会津西街道は若松城下からやきものの里本郷、江戸宿場の面影を残す大内宿、田島、そして陣屋のあった糸沢を経て、下野の国(今の栃木県)今市に至る主要な道でした。現在は国道121号に沿っていますが、かつては関白豊臣秀吉が通 り、会津藩初期には参勤交代の行列が行き交い、幕末には思想家吉田松陰が東北紀行の帰りに利用し、新選組土方歳三が敗走して会津に入った「歴史の道」です。
その歴史街道に面 してあった絲澤陣屋は今から約150年から200年前に建てられたものと言われています。



時代小説ファンの私にはたまらない空間です。



ネット拝借写真





ネット拝借写真


ネット拝借写真


ネット拝借写真


我々の部屋は椅子テーブル庭付きのお部屋。感動しすぎて写真があまりなく拝借写真が多くなってしまいました。


さて、ミーティングが終わって会食です。









全然撮ってないですね。この他に、冷やしきしめん、天ぷら、デザート他、何品かあったと思います。

美味しー連発で食べ終わってから撮ってないことに気づきましたが、ほらお酒も入っているので気にしません。


中でも、わっぱ飯(輪箱飯)が最高!

写真が悪くて分かりづらいですが、釜飯ではありません。以下ネット拝借文章。


1970年(昭和45年)に開業した割烹・会津料理の「元祖輪箱飯 田季野」は、先代店主が1955年(昭和30年)に尾瀬の玄関口である南会津の檜枝岐村で曲げわっぱに出会ったことからはじまったといっても過言ではない。

厳しい自然に囲まれた檜枝岐村で、山に入る男たちが携える弁当箱。力強さと同時に春の尾瀬の優しささえ感じさせてくれる曲げわっぱに惹かれた先代は、その器に会津の食材を使った料理を盛った輪箱飯(わっぱめし)を創りたいと考えた。


これがわっぱ飯。



きしめんも美味しかったなぁ。



その後はおしゃれなカクテルバーに行って、その後東山温泉の芸者さんがづらのまま営業するスナックに行きました。


残念ながらその日はづらなし。皆さんお綺麗ですね。

朝まで飲むぞー、と言われましたが、私がおねむモードに入ったので解散。


改めて会津の魅力を再確認した一日でした。


よし、今度は家族で来るぞ。



明日からまた出張です・・・・・・



ちゃんちゃん。




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